イザヤ6章 「主よ、私を遣わしてください!」
☆主よ!私を遣わしてください!

私たちの主は聖なる主です。
「聖なる、聖なる、聖なる、万軍の主。その栄光は全地に満つ。」(イザヤ6:3)
主を見たイザヤはこう言っています。
「ああ。私は、もうだめだ。私はくちびるの汚れた者で、くちびるの汚れた民の間に住んでいる。しかも万軍の主である王を、この目で見たのだから。」(イザヤ6:5)
イザヤは、主があまりにも聖なる方であるがゆえに、もうだめだ、つまり、死んでしまう。といいました。イスラエルの民も、神の声を聞くだけで、その聖さのあまり死んでしまうといいました。(申命記5:24~33)
私たちは、どうでしょうか。主の聖さを認めて、恐れていますか?
☆主の聖さは今日も変わりません。(ヘブル13:8)
しかし、イザヤ書ではこう続きます。
「すると、私のもとに、セラフィムのひとりが飛んで来たが、その手には、祭壇の上から火ばさみで取った燃えさかる炭があった。彼は、私の口に触れて言った。『見よ。これがあなたのくちびるに触れたので、あなたの不義は取り去られ、あなたの罪も贖われた。』」(イザヤ6:6,7)
主は、イエスキリストの血潮で、わたしたちを雪よりも白く、清めてくださいました。(詩篇51:7)
☆イエスによって、私たちの不義は取り去られ、罪は贖われた。
そしてこう続きます。
「『私は、だれを遣わそう。だれが、われわれのために行くだろう』と言っておられる主の声を聞いたので、言った。『ここに、私がおります。私を遣わしてください。』」(イザヤ6:8)
主は、「誰を遣わそう」と、遣わす人を探しておられます。その聖さに、始めは恐れ、おののいた、イザヤでしたが、燃えさかる炭をもって清められたイザヤは、「ここに、わたしがおります。(ヘブライ語で、ヒネニ!)私を遣わしてください。」と主に叫びました。
☆主は遣わす人をさがしておられる。
私たちは、キリストによって清められたがゆえに、大胆に神の御座に近付くことができます!(ヘブル4:16)
あなたは、恐れていませんか。行動を起こすことを。主を恐れることは良いことです。しかし、あなたが本当に恐れているものは何ですか?他の人がどう思うか?世間体?拒絶?不安?それらのものを恐れることは主は喜ばれません!
「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。」(Iヨハネ4:18)
☆なにを恐れているのですか!万軍の主である神がわたしたちとともにいます!
使徒行伝は、英語でActsです。それは、彼らが行動(act)を起こしたからです!私たちも行動を起こしましょう!今から!そして、使徒、という英語、Apostlesの語源は、「送る」(stol, stal, stle)という言葉です。主に遣わされ、送られたものが使徒、なのです!
今、立ち上がりましょう。そして主に叫びましょう!
「ヒネニ!主よ!私はここにいます!私を遣わしてください!」