ヨハネ21章 イエスの愛
☆イエスは愛のお方です。

ヨハネ21章、イエスが、シモン・ペテロに「私はあなたを愛しますか」と3回聞いた有名な場面です。
☆一回目
「イエスはシモン・ペテロに言われた。『ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。』」(15節)
この人たち以上に、のこの人たちというのは、ペテロのほかにいた、トマス、ナタナエル、ゼベダイの子のヤコブとヨハネ、そして もう2人の弟子たちのことです。(1節)
イエスが「この人たち以上に」言われたのはもっともです。なぜならペテロは、
「たとい全部の者があなたのゆえにつまずいても、私は決してつまずきません。」(マタイ26:33) と言ったからです。
それでも、ペテロの反応は弱気なものでした。
「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」(15節)
わたしを愛しますか、とイエスがいった愛とは、
ギリシャ語でアガパオー。つまり、無条件の愛です。
それに対してペテロが言った愛とは、
ギリシャ語でフィレオー。つまり、友情、条件付きの愛です。
ペテロが弱気になったのはもちろんです。
ペテロはつまずかない、と言ったそのあと、3度イエスを知らないと言いました。(マタイ26章)
彼の中で裏切ってしまったという思いがひどく傷となっていたことでしょう。その上、イエスが復活されて「私を愛しますか。」と言われたら、ペテロでなくとも、裏切ってしまったという、あまりの申し訳なさに、はっきりとは答えられないでしょう。
しかしイエスはもう一度たずねられます。
「イエスは再び彼に言われた。『ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛し(アガパオー)ますか。』」(16節)
一回目には、このひとたち以上に、と言われたイエスですが、今度は、ただ、「私を愛し(アガパオー)ますか」と尋ねられました。
しかしペテロはまた同じ答えをします。
「はい。主よ。私があなたを愛(フィレオー)することは、あなたがご存じです。」(16節)
以前は、口が先に出てしまうようなペテロでしたが、3度イエスを知らないと言ってしまったペテロの中では、それが本当に大きな傷となり、今は、口だけで愛するとは言えなかったに違いありません。
彼が「私があなたを愛(フィレオー)することは、あなたがご存じです」と言ったのも、私はあなたをアガパオーの愛では愛せません、と弱さを告白したことでもありました。
彼が「私があなたを愛(フィレオー)することは、あなたがご存じです」と言ったのも、私はあなたをアガパオーの愛では愛せません、と弱さを告白したことでもありました。
そしてイエスは三度目にこう尋ねられます。
「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛し(フィレオー)ますか。」(17節)
ついにイエスは、フィレオー、つまり条件付きの愛で私を愛しますか。とペテロに聞かれます。
初めは、この人たち(他の弟子たち)以上にアガペーの愛で、
そして二回目はアガペーの愛で、
そして3回目には、フィレオーの愛で、
と、イエスは、始めペテロが言った基準から、今の傷ついたペテロのところまで下がってきてくださったのです。
ペテロは、イエスがそこまで自分のところまで下がってくださったことにショックを受けます。
「ペテロはイエスが三度、『あなたはわたしを愛し(フィレオー)ますか』と言われたので、心を痛めてイエスに言った。『主よ。あなたはいっさいのことをご存知です。あなたは、わたしがあなたを愛する(フィレオー)ことを知っておいでになります。』」(17節)
ペテロは、三度目に、「あなたはいっさいのことをご存知です。」とイエスの権威を認めました。
同時にこの出来事は、ペテロのその、3度イエスを知らないと言ったことからの、深い傷がいやされた瞬間でもありました。
イエスは、ペテロが知らないと言った、その3度、そして、だんだんと、ペテロの心まで降りてきてくださることにより、彼への愛をことごとく示されたのです。
そしてイエスは最後にこう言われます。
「私に従いなさい。」(19,22節)
☆私たちが、フィレオー(条件付き)の愛でしか、イエスを愛せなくても、もうすでに、アガパオー(無条件)の愛によって私たちを愛し、十字架にかかってくださったイエスに感謝し、そして従っていきましょう。