ヨブ記7章 人間とは何なのか。なぜあなたはこれを大いなるものとし、これに心を向けられるのか。
ヨブ記7章 人間とは何なのか。なぜあなたはこれを大いなるものとし、これに心を向けられるのか。
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上の動画は、1952年の黒澤明さんの「生きる」という映画の予告編であります。
ヨブのこの章でのお話も、絶望的なところがあります。自分の財産を全て一気になくし、自分の子供もすべて無くし、自分は皮膚病に掛かり、何の楽しみも、何の望みもなくなっている時のお話です。
上記の映画のように、もし、自分の命が半年の期間に限られていることが分かったら、何をするのでしょうか?
私としては、現在自分がしていることを与えられた時間内で進んでいくと思います。なぜなら、それが自分の召しに沿った働きであるからです。
私が二十歳の時、突然、胸の下に麻痺が来て、歩けなくなった時も、初めての私の反応は、「主よ!感謝します!」ということでした。賛美を常に捧げました。しかし、その中でも、疑問がありました。なぜ、今、私にこんな事が必要であったのか?と叫び求めたこともありました。
ヨブは、自分の体が人が見ることの出来ないほど、悲惨な状況にあったので、望みを抱くことが出来なかったと思います。
その時、人間の根本的な質問がありました。「人間とは何なんだろうか?」 「なぜ、生きているのでしょうか?」 これらの質問が心に浮かびながら、現実と直面し、どうすればよいか分からない自分と戦うことすらも、気力が無い状態にいました。
さて、生きている間、本当に大事な質問は、「なぜ自分が生きているのか?」、「何のために生きるのか?」ということでは無いでしょうか?これらの質問の答えを見つけ出すことは非常に大切です。「生きる」という映画でも、人生の最後に、自分のすべきごとを一つでも行うとき、その人は幸いを覚えることが出来ました。
人生の目的は、創り主である、神様が教えてくださいます。それを知ることを「ビジョンを受ける」とも言います。
ビジョンを持って、歩む毎日には意味があります。
ゴスペルハウス
アブラハム・リー
7:1 この地上に生きる人間は兵役にあるようなもの。傭兵のように日々を送らなければならない。
7:2 奴隷のように日の暮れるのを待ち焦がれ/傭兵のように報酬を待ち望む。
7:3 そうだ/わたしの嗣業はむなしく過ぎる月日。労苦の夜々が定められた報酬。
7:4 横たわればいつ起き上がれるのかと思い/夜の長さに倦み/いらだって夜明けを待つ。
7:5 肉は蛆虫とかさぶたに覆われ/皮膚は割れ、うみが出ている。
7:6 わたしの一生は機の梭よりも速く/望みもないままに過ぎ去る。
7:7 忘れないでください/わたしの命は風にすぎないことを。わたしの目は二度と幸いを見ないでしょう。
7:8 わたしを見ている目は、やがてわたしを見失い/あなたが目を注がれても/わたしはもういないでしょう。
7:9 密雲も薄れ、やがて消え去る。そのように、人も陰府に下れば/もう、上ってくることはない。
7:10 再びその家に帰ることはなく/住みかもまた、彼を忘れてしまう。
7:11 わたしも口を閉じてはいられない。苦悶のゆえに語り、悩み嘆いて訴えよう。
7:12 わたしは海の怪物なのか竜なのか/わたしに対して見張りを置かれるとは。
7:13 「床に入れば慰めもあろう/横たわれば嘆きも治まる」と思ったが
7:14 あなたは夢をもってわたしをおののかせ/幻をもって脅かされる。
7:15 わたしの魂は息を奪われることを願い/骨にとどまるよりも死を選ぶ。
7:16 もうたくさんだ、いつまでも生きていたくない。ほうっておいてください/わたしの一生は空しいのです。
7:17 人間とは何なのか。なぜあなたはこれを大いなるものとし、これに心を向けられるのか。
7:18 朝ごとに訪れて確かめ/絶え間なく調べられる。
7:19 いつまでもわたしから目をそらされない。唾を飲み込む間すらも/ほうっておいてはくださらない。
7:20 人を見張っている方よ/わたしが過ちを犯したとしても/あなたにとってそれが何だというのでしょう。なぜ、わたしに狙いを定められるのですか。なぜ、わたしを負担とされるのですか。
7:21 なぜ、わたしの罪を赦さず/悪を取り除いてくださらないのですか。今や、わたしは横たわって塵に返る。あなたが捜し求めても/わたしはもういないでしょう。