自分の才能!?天才!?
すべての人には、必ず、その人に与えられている才能というものがある。
自分にはそんなものないって言う人も中にはいるかもしれない。
で も、才能っていうのは、努力して得るものも多少あるけれど、
本当はその人が生まれた時から与えられているもの、もしくわ、今与えられているものの ことじゃないかなと思う。
どっちかというと、才能というよりも天才と呼んだほうがいいかもしれない。
それはその文字通り、天から与えられ た才(才能)!
普通天才というと、なにか他の人と比べて跳びぬけた能力を持っている人のことを言う。
けれど僕はそんなことではなくて、そ の人がもともと持っているもの、そして誰もが自分のものとして持っている才能のことを天才と言いたいぞと思う。
もしかしたら、ある人は生まれつき 手足がなく、笑うことしかできないかもしれない。
でもそれがその人にとっての天才。
そう、天才っていうのは大抵その人自身が気が 付いていないことが多い。
天才は、世間一般で言われている特別な人のことではなくて、その人に与えられている特別なもののことだ。
他の人 がどうとか関係ない。
だから比べる必要もない。
天才とは神様がその人に与えてくださったもの。
ただ、今はそれが様々なも のに埋もれて見えなくなっているだけ。
それを見つけるには、上に覆いかぶさっている邪魔なものをどけないといけない。
それは劣等感や自己 憐憫であったり、人と比べてしまう癖であったり、または、「自分はこうなんだ」というマイナスな思いこみであったり・・・。
自分に与えら れた天才。
それと神様によって与えられるビジョン、いわゆる”召し”というものは切っても切り離せない関係だと思う。
だから、その天才を 見つけた時、それが人生のターニングポイントじゃないかなぁと思う。
「ま た、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだ ものか、
また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができま すように。」
―エペソ 1章18,19節―