広尾郡(ひろおぐん)
広尾郡(ひろおぐん)は、北海道十勝総合振興局に所属する郡。
人口14,158人、面積1,412.54km²、人口密度10人/km²。(2010年9月30日、住民基本台帳人口)
以下の2町を含む。
歴史 [編集]
江戸時代の広尾郡域は、松前藩によって開かれたトカチ場所に含まれた。寛永12年にはアイボシマ付近の採金がはじまり、また十勝神社(後の広尾町に所在)の前身の戸賀知明神社(刀勝大明神)は寛文6年6月よりも前の創建である。藩政時代から明治時代初頭にかけての交通は、渡島国の箱館から千島国方面に至る道(国道336号の前身)が通じていたが、西端部に一部地形が険しい難所があったため、寛政10年幕吏近藤重蔵が 私費を投じて蝦夷68名を雇い広尾郡の西隅にあたるビタタヌンケとルベシベツの間2里(7.9km)にルベシベツ山道を開削した。重蔵の従者下野源助が山 道開削について記録し、蝦夷が碑文を彫った木が十勝神社に奉納されたが、この碑文は現在、広尾町タニイソトンネル北側坑口の海側に立つ碑に刻まれている。
江戸時代後期、広尾郡域は東蝦夷地に属していた。国防のため寛政11年広尾郡域は天領とされた。文政4年には一旦松前藩領に復したものの、安政2年再び天領となり仙台藩が警固をおこなった。安政6年には仙台藩によって出張陣屋のひとつトカチ陣屋が設けられている。1869年広尾郡が置かれる。北海道十勝国に属した。
- 1882年2月8日 – 廃使置県にともない札幌県の所管となる。
- 1906年4月1日 – 北海道二級町村制施行に伴い、茂寄村が当縁郡大樹村・歴舟村、当縁村の一部(後の忠類村)と合併し、茂寄村が成立。(1村)
- 1926年6月1日 – 茂寄村が広尾村に改称。
- 1928年10月1日 – 広尾村から大樹村(二級)が分立。(2村)
- 1943年6月1日 – 北海道二級町村制廃止。広尾村・大樹村が内務省指定村に移行。
- 1946年9月20日 – 広尾村が町制施行し広尾町となる。(1町1村)
- 1946年10月5日 – 指定町村制廃止。
- 1949年8月20日 – 大樹村から忠類村が分立。(1町2村)
- 1951年4月1日 – 大樹村が町制施行し大樹町となる。(2町1村)
- 1955年4月1日 – 大樹町が十勝郡大津村西部地区(生花・晩成)を編入。
- 2006年2月6日 – 忠類村が中川郡幕別町に編入。(2町)