十勝郡(とかちぐん)
十勝郡(とかちぐん)は、北海道十勝総合振興局に所属する郡。
人口5,710人、面積729.64km²、人口密度7.83人/km²。(2010年9月30日、住民基本台帳人口)
以下の1町を含む。
- 浦幌町(うらほろちょう)
歴史 [編集]
江戸時代の十勝郡域は、松前藩によって開かれたトカチ場所に含まれた。藩政時代から明治時代初頭にかけての交通は、沿岸部に渡島国の箱館から千島国方面に至る道(国道336号の前身、釧路国との国境付近からは国道38号の前身)が通じていた。寛政10年ころにはすでに大津に番屋が存在し、翌11年には駅逓も置かれた。江戸時代後期、十勝郡域は東蝦夷地に属していた。国防のため寛政11年十勝郡域は天領とされたものの、文政4年には一旦松前藩領に復ている。稲荷神社(現豊頃町大津地区に所在)は文政11年十勝場所請負人福島屋杉浦嘉七により建立された。安政2年再び天領となり仙台藩が警固をおこなった。1869年十勝郡が置かれる。北海道十勝国に属した。
- 1882年2月8日 – 廃使置県にともない札幌県の所管となる。
- 1906年4月1日 – 当縁郡当縁村の一部(生花・晩成・湧洞・長節)を、大津村に編入。
- 1906年4月1日 – 中川郡旅来村の一部を、大津村に編入。
- 1917年 – 人口:6,797名。またこの年マラリア患者数が55名確認された。
- 1955年4月1日 – 大津村が三分割され、西部地区(生花・晩成)は広尾郡大樹町に、中部地区(湧洞・長節・大津・旅来)は中川郡豊頃村(現豊頃町)に、東部地区は浦幌町にそれぞれ合併される。
参考文献 [編集]
- 内務省衛生局保健衛生調査室編『各地方ニ於ケル「マラリア」ニ関スル概況』1919年(大正8年)発行(2008年1月21日現在、国立国会図書館の『近代デジタルライブラリー』で閲覧可能)