イザヤ50章 主なる神が助けてくださるから
イザヤ50章 主なる神が助けてくださるから
この章は、質問と答えが続きます。神様が助けることの出来る方であることや私達を助けてくださる方であることなど・・・
神様の御声を聞くようになるのは、神様が私達の耳を開いてくださる時からです。その時までは、自分の目や考え方が自分の全ての決断に影響します。しかし、神様の御声を聞くことの出来る耳を開いてくださる時から、自分の選びより、神様の導きに耳を傾き、人間的な考えから離れ、神様の計画や導きが自分の最も大事なことになります。
そこから、神様が私達を助けてくださる方であることを体験することが出来ます。その体験が重なると、神様のご性格を知るようになります。そのご性格を深く知ることから、神様への信頼が生まれます。
神様への畏れと尊敬も伴い、神様の御声に聞き従うことを好むようになります。このような状態を神様と共に歩むと言うことではないでしょうか。
アブラハム・リー
ゴスペルハウス
50:1 主はこう言われる。お前たちの母親を追い出したときの/わたしの離縁状はどれか。お前たちを売り渡した時の債権者は誰か。お前たちの罪によってお前たちは売り渡され/お前たちの背きのために母親は追い出されたのだ。
50:2 何故、わたしが来ても、だれもいないのか。呼んでも答えないのか。わたしの手は短すぎて贖うことができず/わたしには救い出す力がないというのか。見よ、わたしが叱咤すれば海は干上がり/大河も荒れ野に変わる。水は涸れ、魚は異臭を放ち/渇きのために死ぬ。
50:3 わたしは、天に喪服をまとわせ、粗布で覆う。
50:4 主なる神は、弟子としての舌をわたしに与え/疲れた人を励ますように/言葉を呼び覚ましてくださる。朝ごとにわたしの耳を呼び覚まし/弟子として聞き従うようにしてくださる。
50:5 主なる神はわたしの耳を開かれた。わたしは逆らわず、退かなかった。
50:6 打とうとする者には背中をまかせ/ひげを抜こうとする者には頬をまかせた。顔を隠さずに、嘲りと唾を受けた。
50:7 主なる神が助けてくださるから/わたしはそれを嘲りとは思わない。わたしは顔を硬い石のようにする。わたしは知っている/わたしが辱められることはない、と。
50:8 わたしの正しさを認める方は近くいます。誰がわたしと共に争ってくれるのか/われわれは共に立とう。誰がわたしを訴えるのか/わたしに向かって来るがよい。
50:9 見よ、主なる神が助けてくださる。誰がわたしを罪に定めえよう。見よ、彼らはすべて衣のように朽ち/しみに食い尽くされるであろう。
50:10 お前たちのうちにいるであろうか/主を畏れ、主の僕の声に聞き従う者が。闇の中を歩くときも、光のないときも/主の御名に信頼し、その神を支えとする者が。
50:11 見よ、お前たちはそれぞれ、火をともし/松明を掲げている。行け、自分の火の光に頼って/自分で燃やす松明によって。わたしの手がこのことをお前たちに定めた。お前たちは苦悩のうちに横たわるであろう。