韓国deの祈りの旅1~4まとめ
韓国旅行
第1回目は、2013年3月29日から4月2日まで、家族3人でインチョンにある世界宣教訓練センターに宿泊、韓国の兄弟にホストしていただき、いろんなところを訪れ、祈りの旅行をしてきました。
この人が友人のちょんわんさんです。彼が色んなところに連れて行ってくださいました。
鶏
北東の境界にあるソロク山に行く途中、サンポという小さな村に寄りました。乾燥した黄土に、光を受けて流れる小川、手づくりの池のほとりにぽつんと食堂があり、駐車場には、3羽の鶏が出迎えてくれました。
積まれた薪に昔ながらのかめ、すべてが新鮮でした。、舗装道路の上を浅い小川が交差して流れていて、車が水しぶきを高く上げて通ったとき、体いっぱいに広がる感動が涙となって溢れ出ました。丘の傾斜には、エメラルドの尾を持った雄鶏たちが誇って声を上げ、その家族が数十羽、好き勝手に遊んでいました。この美しい光景に、神様の愛を感じずにはいられませんでした。
貸切の食堂で、奥さん一人で40分かけて用意してくれたお粥と、朝屠ったばかりの鶏と漢方の詰まったなべは、体を優しく温め、疲れをほぐしてくれました。食後には体に溜まっていた悪いものが一気に出、全身軽くなりました。
KBSの放送で、北朝鮮側が「韓国と戦争状態に入る」という宣言をしたというニュースが流れたのはその時でした。この美しい村々を主がどうぞお守りくださいますように。人をもてなし、人を癒すこの豊かな土地を守ってください。この土地の人々に神様の御心がなりますように。
第2回目の祈りの旅(2013年5月)
2回目には、インチョン空港からレンターカーでチュンチョンブッド・チュウンチョンナムド・ジョッラブッドを回りながら祈りました。
この時は、両親の故郷と親戚である牧師先生やクリスチャンの親戚と会いました。そこから一回り広がる交わりを感じました。特に、私の先祖が犯した罪に対し、その咎から開放し、信仰の守りを祈りました。子孫へのまもりでもあり、これからの子孫が神様に近づく生活を過ごすことを祈りました。
親戚の牧師先生たちとの交わりも良いですね。
School of Tomorrow(SOT)というクリスチャンカリキュラム(ACE)ともいわれるものを教会に導入し、Church Schoolを始めたのも、このPaul Lee先生です。彼は、現在、アメリカの教団に属している先生です。
また、2004年から今までキムチを通した文化宣教を行ってくださったキムチ宣教チームの皆様とお会いできました。彼らは、50代から70代のお母さんで、キムチを作るのを教えながら、関係を築き、その中から証を通して、キリストの愛を分かち合う方々です。
この日は、このチームの世話役をしている、チャン長老ご夫妻が皆さんを引率してくれました。良い祈りの時と支え合う一つのきっかけになりました。私のすぐ隣がちゃんさんです。そして、彼女のご主人が一番右です。
第3回目の祈り(2013年8月)は、ギョンサンブッド・ギョンサンナムド・ジョンラナムドを回りながらとりなしを行いました。
この旅の祈りのポイントは、地方差別などを元にソウルと地方の違いが韓国に影響することのために祈りました。
大邱(テグ대구)とコァンジュ(光州광주)を中心に大邱では、慶尚道(キョンサンド)のために祈りました。教育の都市として発展した場所です。特に、安東という場所は、韓国の精神文化の発祥の地として大々的に宣伝をしていました。以下の写真を見てください。
そのために、教育のためにお祈りをしました。
ほとんどの地方にも教会が沢山あります。しかし、いまだに、教会の役目が弱い教会や未開拓地もあります。
そのような働きをする人々の中にも、ソウルの大型教会のような働きではありませんが、地味な働きをされている先生方も多くおります。
光州では、전라도(全羅道)のために祈りました。
海の幸もたくさんあることですので、목포(木浦)へ行きました。港町でありますので、そこの地元の人とお話をしてみました。
魚釣りをしている人は、現在、ソウルで生活をしています。年に1回地元の목포(木浦)に戻ります。両親が故郷に住んでいます。一度、ソウルで生活をしてみましたが、やっぱりなれなくて、ここに戻ったということでした。どこでも、似たようなお話を聞きますね。
たまたま、入った食堂には、クリスチャンのご主人でしたので、聖書の言葉が壁に貼ってありました。ご主人といろいろお話をしました。教会との関係に置いていろんな問題があったような気がしますが、神様の祝福を祈りました。
第4回目の韓国での祈りの旅は、済州島です。2014年1月中。