使徒4章 どんな人でも用いて下さる神様
使徒4章では、祭司や律法学者たちが動き出し、
ペテロとヨハネを捕らえ、彼らを取り囲み、尋問し始めました。
使徒たちに対する迫害の始まりです。
しかしそのような威圧的空間の中でも、
彼らは聖霊に満たされ、キリストについて大胆に述べ伝えました。
それを見た祭司や律法学者たちの反応が13節に書かれています。
13人々はペテロとヨハネとの大胆な話しぶりを見、また同時に、ふたりが無学な、普通の人たちであることを知って、驚いた。そして彼らがイエスと共にいた者であることを認めた。
英訳で「無学な」というのは”unschooled”と書かれてあります。
これは「学校教育を受けていない。」という意味です。
その当時、7歳になった男の子はユダヤ教会の学校へ行き、ヘブル語で読み書きをすることを学び、聖典トーラを暗記したりしなければなりませんでしたが、
ガリラヤ湖周辺に住んでいたペテロとヨハネは漁師出身なので、
読み書き等の教育は受けていなかったのではないか?と考えます。
ですので律法学者たちにとっては、
「田舎もんの青二才が、何を話しだすんだ。」
っていう感じだったのではないでしょうか?(笑)
魚のことしか知らなそうな人が知恵を持って大胆に
キリストのことを語るのを見て、彼らは驚きを隠せませんでした。
ペテロとヨハネを用いて下さったように、神様は私たちをも用いて下さいます。
国籍、学歴、地位は全く関係ないのです。
神様はどんな人でも用いて下さいます。
大事なのはイエス様とともにいることです。
でもキリストはもう天にあげられてしまったので
一緒にいることはできないんじゃないでしょうか?
そんなことはありません。神様は、イエス様の代わりに聖霊様を私たちに与えて下さいました。
三位一体と言う言葉がありますが、これは、父、子、聖霊が全て等しいということです。
天の父=イエス様=聖霊様ということになります。だから聖霊様と共にいるということはキリストと共にいることと全く同じことになります。
聖霊様の導きに従うなら、神様は必ず私たちを祝福して下さいます。
小さく、弱い私たちをも用いて下さる神様に感謝します。
サムエル・リー