人生は選びである
昨日、知り合いの大学生が更別の家を訪ねてきました。自分のアルバイトで学費を得ながら、通学をしています。あんまりの忙しさで食事を取る時間もない時がある。時には、一日一食しか食べれない時もあるとのことでした。
最大に頑張っている様子を伺いました。
しかし、社会のシステムは、私たちに選びの余地を与えないように見えます。しかし、神様は、創造的な方であり、私たちが体を壊すまで頑張り続けることを願っていません。神様は、その創造的な方法で、私たちの必要を満たしてくださいます。
私たちは、それを知らず、自分の力で頑張ることが美徳のように感じる人も多いと思いますが、それよりも、もっと優れた人生のあり方があるはずです。
社会は、完璧に私たちのためにだけ存在しません。必ず、そこには反するものもあります。しかし、そのような環境でも、神様の知恵によってもっと良い方を選ぶことは可能です。
社会は、一色で私たちの道を示そうとしますが、神様は虹の色で私たちの選びを求めておられます。自分をこの社会が提示している色に染める必要はありません。自分のありのままの色で生きる勇気が必要で、また、人と違う道を歩むことを恐れてはいけません。
神様は、すべての人に目的を持っており、生まれる前から神様はその人を知っています。そして、何か最善であるかも知っているから、神様からの知恵をもって生きる選択は、人生を賢く生きる良い計りとなります。
ひたすら頑張るのと神様が提示している道に沿って歩むのには、人生の質が違います。自分の限られた資源から選ぶ選択より、すべてをご存知である神様の知恵を得て歩むのが幸せな人生を過ごすコツです。
アブラハム・リー@ゴスペルハウス