ピリピ人へ手紙 第3章 信仰に基づいて、神から与えられる義
ピリピ人へ手紙 第3章 信仰に基づいて、神から与えられる義
使徒パウロは、自分にも自慢できることがあるが、イエス・キリストを知ってからは、自分の知識などをすべて捨てて、イエス様が自分のためにしてくださったことのあまりにも良いことであることに感謝していました。
「信仰に基づいて、神から与えられる義」が彼の決定的な内容でした。これは、律法を守ることから来る義とは違って、神様の恵みにより与えられるものです。これを知ったパウロは、今まで一定の律法を守る、つまり、人間の努力による義ではなく、神様から来る信仰の義を人生の大事なものとして受け入れました。
その信仰の義により、過去を見るのではなく、与えられた召しに従って、前を見て走るようになりました。パウロは、「キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。」と語っています。
過去にとどまるのではなく、与えられた召しに向かって前進していきます。これが、私たちの「得」となります。
ゴスペルハウス
アブラハム・リー
Righteousness Through Faith in Christ
Php 3:1 最後に、私の兄弟たち。主にあって喜びなさい。前と同じことを書きますが、これは、私には煩わしいことではなく、あなたがたの安全のためにもなることです。
Php 3:2 どうか犬に気をつけてください。悪い働き人に気をつけてください。肉体だけの割礼の者に気をつけてください。
Php 3:3 神の御霊によって礼拝をし、キリスト・イエスを誇り、人間的なものを頼みにしない私たちのほうこそ、割礼の者なのです。
Php 3:4 ただし、私は、人間的なものにおいても頼むところがあります。もし、ほかの人が人間的なものに頼むところがあると思うなら、私は、それ以上です。
Php 3:5 私は八日目の割礼を受け、イスラエル民族に属し、ベニヤミンの分かれの者です。きっすいのヘブル人で、律法についてはパリサイ人、
Php 3:6 その熱心は教会を迫害したほどで、律法による義についてならば非難されるところのない者です。
Php 3:7 しかし、私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。
Php 3:8 それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。それは、私には、キリストを得、また、
Php 3:9 キリストの中にある者と認められ、律法による自分の義ではなくて、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基づいて、神から与えられる義を持つことができる、という望みがあるからです。
Php 3:10 私は、キリストとその復活の力を知り、またキリストの苦しみにあずかることも知って、キリストの死と同じ状態になり、
Php 3:11 どうにかして、死者の中からの復活に達したいのです。
Straining Toward the Goal
Php 3:12 私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕えようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕えてくださったのです。
Php 3:13 兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕えたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、
Php 3:14 キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。
Php 3:15 ですから、成人である者はみな、このような考え方をしましょう。もし、あなたがたがどこかでこれと違った考え方をしているなら、神はそのこともあなたがたに明らかにしてくださいます。
Php 3:16 それはそれとして、私たちはすでに達しているところを基準として、進むべきです。
Php 3:17 兄弟たち。私を見ならう者になってください。また、あなたがたと同じように私たちを手本として歩んでいる人たちに、目を留めてください。
Php 3:18 というのは、私はしばしばあなたがたに言って来たし、今も涙をもって言うのですが、多くの人々がキリストの十字架の敵として歩んでいるからです。
Php 3:19 彼らの最後は滅びです。彼らの神は彼らの欲望であり、彼らの栄光は彼ら自身の恥なのです。彼らの思いは地上のことだけです。
Php 3:20 けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。
Php 3:21 キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。