へブル人への手紙 第10章 まごころをもって信仰の確信に満たされる
ヘブライ人への手紙 第10章 まごころをもって信仰の確信に満たされる。

このヘブライ10章は、信仰の確信について語っています。
神様は私たちの不完全な生贄より、キリストが私たちのためになしてくださった完全な生贄としてご自分の命をも捨てた十字架の死とその復活を信じることを願っています。
その約束を受け取るには「忍耐」が必要です。
へブル 10:22 心はすすがれて良心のとがめを去り、からだは清い水で洗われ、まごころをもって信仰の確信に満たされつつ、みまえに近づこうではないか。
キリストの死は、幕屋の至聖所という神様の御住まいであったのですが、ここに私たちがキリストを通して近づくことができるようになりました。これの意味は、どんなことがあっても神様に直接話すことができ、そこで神様と会話をすることができることです。そこで語られる神様の御声は私たちの人生のすべての問題へ解決を提供し、自分のすべきことや将来へ希望に満ちた命のことがが語られるのです。
失望から希望へ導く神様の恵みは、神様の御もとに近づく私たちに与えられるもので、忍耐をもって待ち続く人に与えられます。
希望ある人生となりますように!
ゴスペルハウス
アブラハム・リー
Heb 10:1 いったい、律法はきたるべき良いことの影をやどすにすぎず、そのものの真のかたちをそなえているものではないから、年ごとに引きつづきささげられる同じようないけにえによっても、みまえに近づいて来る者たちを、全うすることはできないのである。
Heb 10:2 もしできたとすれば、儀式にたずさわる者たちは、一度きよめられた以上、もはや罪の自覚がなくなるのであるから、ささげ物をすることがやんだはずではあるまいか。
Heb 10:3 しかし実際は、年ごとに、いけにえによって罪の思い出がよみがえって来るのである。
Heb 10:4 なぜなら、雄牛ややぎなどの血は、罪を除き去ることができないからである。
Heb 10:5 それだから、キリストがこの世にこられたとき、次のように言われた、「あなたは、いけにえやささげ物を望まれないで、わたしのために、からだを備えて下さった。
Heb 10:6 あなたは燔祭や罪祭を好まれなかった。
Heb 10:7 その時、わたしは言った、『神よ、わたしにつき、巻物の書物に書いてあるとおり、見よ、御旨を行うためにまいりました』」。
Heb 10:8 ここで、初めに、「あなたは、いけにえとささげ物と燔祭と罪祭と(すなわち、律法に従ってささげられるもの)を望まれず、好まれもしなかった」とあり、
Heb 10:9 次に、「見よ、わたしは御旨を行うためにまいりました」とある。すなわち、彼は、後のものを立てるために、初めのものを廃止されたのである。
Heb 10:10 この御旨に基きただ一度イエス・キリストのからだがささげられたことによって、わたしたちはきよめられたのである。
Heb 10:11 こうして、すべての祭司は立って日ごとに儀式を行い、たびたび同じようないけにえをささげるが、それらは決して罪を除き去ることはできない。
Heb 10:12 しかるに、キリストは多くの罪のために一つの永遠のいけにえをささげた後、神の右に座し、
Heb 10:13 それから、敵をその足台とするときまで、待っておられる。
Heb 10:14 彼は一つのささげ物によって、きよめられた者たちを永遠に全うされたのである。
Heb 10:15 聖霊もまた、わたしたちにあかしをして、
Heb 10:16 「わたしが、それらの日の後、彼らに対して立てようとする契約はこれであると、主が言われる。わたしの律法を彼らの心に与え、彼らの思いのうちに書きつけよう」と言い、
Heb 10:17 さらに、「もはや、彼らの罪と彼らの不法とを、思い出すことはしない」と述べている。
Heb 10:18 これらのことに対するゆるしがある以上、罪のためのささげ物は、もはやあり得ない。
Heb 10:19 兄弟たちよ。こういうわけで、わたしたちはイエスの血によって、はばかることなく聖所にはいることができ、
Heb 10:20 彼の肉体なる幕をとおり、わたしたちのために開いて下さった新しい生きた道をとおって、はいって行くことができるのであり、
Heb 10:21 さらに、神の家を治める大いなる祭司があるのだから、
Heb 10:22 心はすすがれて良心のとがめを去り、からだは清い水で洗われ、まごころをもって信仰の確信に満たされつつ、みまえに近づこうではないか。
Heb 10:23 また、約束をして下さったのは忠実なかたであるから、わたしたちの告白する望みを、動くことなくしっかりと持ち続け、
Heb 10:24 愛と善行とを励むように互に努め、
Heb 10:25 ある人たちがいつもしているように、集会をやめることはしないで互に励まし、かの日が近づいているのを見て、ますます、そうしようではないか。
Heb 10:26 もしわたしたちが、真理の知識を受けたのちにもなお、ことさらに罪を犯しつづけるなら、罪のためのいけにえは、もはやあり得ない。
Heb 10:27 ただ、さばきと、逆らう者たちを焼きつくす激しい火とを、恐れつつ待つことだけがある。
Heb 10:28 モーセの律法を無視する者が、あわれみを受けることなしに、二、三の人の証言に基いて死刑に処せられるとすれば、
Heb 10:29 神の子を踏みつけ、自分がきよめられた契約の血を汚れたものとし、さらに恵みの御霊を侮る者は、どんなにか重い刑罰に価することであろう。
Heb 10:30 「復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する」と言われ、また「主はその民をさばかれる」と言われたかたを、わたしたちは知っている。
Heb 10:31 生ける神のみ手のうちに落ちるのは、恐ろしいことである。
Heb 10:32 あなたがたは、光に照されたのち、苦しい大きな戦いによく耐えた初めのころのことを、思い出してほしい。
Heb 10:33 そしられ苦しめられて見せ物にされたこともあれば、このようなめに会った人々の仲間にされたこともあった。
Heb 10:34 さらに獄に入れられた人々を思いやり、また、もっとまさった永遠の宝を持っていることを知って、自分の財産が奪われても喜んでそれを忍んだ。
Heb 10:35 だから、あなたがたは自分の持っている確信を放棄してはいけない。その確信には大きな報いが伴っているのである。
Heb 10:36 神の御旨を行って約束のものを受けるため、あなたがたに必要なのは、忍耐である。
Heb 10:37 「もうしばらくすれば、きたるべきかたがお見えになる。遅くなることはない。
Heb 10:38 わが義人は、信仰によって生きる。もし信仰を捨てるなら、わたしのたましいはこれを喜ばない」。
Heb 10:39 しかしわたしたちは、信仰を捨てて滅びる者ではなく、信仰に立って、いのちを得る者である。
