ヨシュア記20章 逃れの町
ヨシュア記20章 逃れの町
イスラエルの逃れの町は、六つありました。ヨルダンの西側に三つと東側に三つありました。
逃れの町の目的は、罪の意思が無いのに、その人の血が流れないことでした。悪い意思が無いまま、地を流されることは神様の忌み嫌われることだからです。
復讐は、神様ご自身が行ってくださいます。私たちが直接復讐をすることではありません。聖書が教えるのは、敵のために祈ることです。そして、神様ご自身が直接復讐します。そして、神様は、すべての復讐は、神様に属していると教えています。
敵のために祈ることと、敵が必要があるときに敵の必要を満たしてあげることで、人間として出来ることを行うことです。神様は、その中で敵の心に触れます。そして、敵意を溶かし、和解へと導きます。これが、神様がすべての人間に与えられた道であります。
愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」ローマ書12:19
今、自分に敵意を持つ人々を赦します。そして、主の御名によって彼らを放します。これが、自分がすべきことである。心から赦します。
今日も必要な主の恵みが自分の心を満たし、求めるすべての人々の上に豊かにありますように!
アブラハム・リー@ゴスペルハウス
20:1 主はヨシュアに仰せになった。
20:2 イスラエルの人々に告げなさい。モーセを通して告げておいた逃れの町を定め、
20:3 意図してでなく、過って人を殺した者がそこに逃げ込めるようにしなさい。そこは、血の復讐をする者からの逃れの場所になる。
20:4 これらの町のいずれかに逃げ込む場合、その人は町の門の入り口に立ち、その町の長老たちの聞いている前でその訳を申し立てねばならない。彼らが彼を町に受け入れるなら、彼は場所を与えられ、共に住むことが許される。
20:5 たとえ血の復讐をする者が追って来ても、殺害者を引き渡してはならない。彼がその隣人を殺したのは意図的なものではなく、以前からの恨みによるものでもなかったからである。
20:6 彼は、共同体の前に出て裁きを受けるまでの期間、あるいはその時の大祭司が死ぬまで、町にとどまらねばならない。殺害者はその後、自分の家、自分が逃げ出して来た町に帰ることができる。
20:7 彼らは、ナフタリの山地ではガリラヤのケデシュ、エフライム山地のシケム、ユダの山地ではキルヤト・アルバ、すなわちヘブロンを聖別した。
20:8 エリコの東、ヨルダン川の向こう側では、ルベン族に属する台地の荒れ野にあるベツェル、ガド族に属するギレアドのラモト、マナセ族に属するバシャンのゴランをそれに当てた。
20:9 以上は、すべてのイスラエルの人々および彼らのもとに寄留する者のために設けられた町であり、過って人を殺した者がだれでも逃げ込み、共同体の前に立つ前に血の復讐をする者の手にかかって死ぬことがないようにしたのである。