詩編128篇 いかに幸いなことか、主を畏れ、主の道に歩む人よ
詩編128篇 いかに幸いなことか、主を畏れ、主の道に歩む人よ
幸いを得たいと思う人は、多くいるが、それを自分の手にする人は少ないです。
聖書が教える幸いへの道は、「主を畏れること」と「主の道に歩むこと」で集約されています。
主を畏れることは、神様より大事にする人・もの・ことを置かないことから、始まります。これらを聖書では、偶像と言います。私たちの心に、創造主である神様を第一に思うことをしない時から、自分の欲しいままふるまうことになります。創られたものとして、目的に合わない歩みをすることが、私たちを不幸にさせていきます。私たちは、偶然生まれたのではなく、必ず目的を持って生まれています。これに沿って歩む人生こそ、幸いです。
主の道に歩むことは、創造主が自分が生まれる前からある、神様の御計画を知り、それに向かって歩むことから幸いな人生になります。神様は、人間に耳や口をお創りになりました。それは、会話が出来るためであります。神様も、人間の作った偶像のように、会話の出来ない非人格的な存在ではなく、とっても私たちと会話をしたいと思っています。これは、聖書のあらゆる箇所から解ります。
自分の道ではなく、神様が自分のために用意した道を歩む人こそ、幸いを得る人です。なぜなら、それが自分の生まれた理由であり、それを歩むことが、人生の最高の目的であるからです。
神様は今も、神様を求める全ての人と語ってくださいます。主の御声を聞くことは、クリスチャンの歩みの基本です。神様は、今も、私たちが神様の身元に来て、神様と交わることを待っています。
マタイの福音書7:7 「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。
7:8 だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。
7:9 あなたがたのだれが、パンを欲しがる自分の子供に、石を与えるだろうか。
7:10 魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。
7:11 このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。
神様を求める時、与えられます。
ゴスペルハウス
アブラハム・リー
128:1 【都に上る歌。】いかに幸いなことか、主を畏れ、主の道に歩む人よ。
128:2 あなたの手が労して得たものはすべて/あなたの食べ物となる。あなたはいかに幸いなことか/いかに恵まれていることか。
128:3 妻は家の奥にいて、豊かな房をつけるぶどうの木。食卓を囲む子らは、オリーブの若木。
128:4 見よ、主を畏れる人はこのように祝福される。
128:5 シオンから/主があなたを祝福してくださるように。命のある限りエルサレムの繁栄を見
128:6 多くの子や孫を見るように。イスラエルに平和。