2025年9月27日
ヨブ記

ヨブ記25章 どうして、人が神の前に正しくありえよう

ヨブ記25章 どうして、人が神の前に正しくありえよう

人が神の前に正しくありえようか?

ローマ3:23 「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、」

誰でも神様の前で、自分の人生が完璧であったといえる人はいないでしょう。何らかの過ちを犯した結果、死に渡されます。しかし、神様は、誰でもキリストの十字架の死と復活を信じ、神であり、人間であるキリストを信じるなら、その人は永遠の命が与えら得ることを聖書は証言しています。

ヨハネ3:16 「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」

神様の御愛は、私たちの考えを超える偉大なるものであります。その愛を受け取ることは、本当の幸いです。

自分の過ちを告白することと自分を傷つけた人を赦す事により自由を得、神様との平和を保つことが出来ます。このような幸いは、お金で買えるものではありませんが、誰でも平等に与えられた機会です。

赦しを与えてくださった神様に感謝します。

ゴスペルハウス
アブラハム・リー

25:1 シュア人ビルダドは答えた
25:2 恐るべき支配の力を神は御もとにそなえ/天の最も高いところに平和を打ち立てられる。
25:3 まことにその軍勢は数限りなく/その光はすべての人の上に昇る。
25:4 どうして、人が神の前に正しくありえよう。どうして、女から生まれた者が清くありえよう。
25:5 月すらも神の前では輝かず/星も神の目には清らかではない。
25:6 まして人間は蛆虫/人の子は虫けらにすぎない。

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