イザヤ6章 わたしがここにおります。わたしを遣わしてください
イザヤ6章 わたしがここにおります。わたしを遣わしてください
預言者イザヤの時代は、イスラエルは神様に従うより、異邦の神々の偶像礼拝をしていました。そのため、神様はイスラエルに災いを与えました。
ウジヤ王は、52年間の王として働きましたが、初めは主に従っていたのですが、道中から高慢になり、祭司だけが捧げられる役目を自分で行う最中、突然、らい病にかかり、残りの人生を離れた場所で過ごしていました。そして、52年を終え、葬られました。
その年、神様はイザヤを遣わし、イスラエルに神様のメッセージを送るようになりました。その前に、イザヤを清められました。火により、口を清められ、語る言葉が人間の言葉ではなく、神様の言葉を語るようにしました。
時代の背景から見ると、王が主から離れたこともあり、一般の住民も神様から離れた生活をしていました。その状態にいるイスラエルに向かって、イザヤは、神様からの言葉を語る人となりました。
神様は、その時、 「誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか。」と聞きました。それに対して、イザヤは、「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。」と答えました。
今の時代にも、神様を慕い求める人は少ないのです。また、ある面、日本の現状は、イザヤの時代に似ています。その時、もし、神様が誰を使わすか?という質問が自分にあったとしたら、私は、答えたいです。「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。」と。
天地を創られた神様だけを神として受け入れ、その神様に使わされることは、私の喜びです。主が共にいる人生こそが、生きる最高の意味があるからです。
ゴスペルハウス
アブラハム・リー
6:1 ウジヤ王が死んだ年のことである。わたしは、高く天にある御座に主が座しておられるのを見た。衣の裾(きょ)は神殿いっぱいに広がっていた。
6:2 上の方にはセラフィムがいて、それぞれ六つの翼を持ち、二つをもって顔を覆い、二つをもって足を覆い、二つをもって飛び交っていた。
6:3 彼らは互いに呼び交わし、唱えた。「聖なる、聖なる、聖なる万軍の主。主の栄光は、地をすべて覆う。」
6:4 この呼び交わす声によって、神殿の入り口の敷居は揺れ動き、神殿は煙に満たされた。
6:5 わたしは言った。「災いだ。わたしは滅ぼされる。わたしは汚れた唇の者。汚れた唇の民の中に住む者。しかも、わたしの目は/王なる万軍の主を仰ぎ見た。」
6:6 するとセラフィムのひとりが、わたしのところに飛んで来た。その手には祭壇から火鋏で取った炭火があった。
6:7 彼はわたしの口に火を触れさせて言った。「見よ、これがあなたの唇に触れたので/あなたの咎は取り去られ、罪は赦された。」
6:8 そのとき、わたしは主の御声を聞いた。「誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか。」わたしは言った。「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。」
6:9 主は言われた。「行け、この民に言うがよい/よく聞け、しかし理解するな/よく見よ、しかし悟るな、と。
6:10 この民の心をかたくなにし/耳を鈍く、目を暗くせよ。目で見ることなく、耳で聞くことなく/その心で理解することなく/悔い改めていやされることのないために。」
6:11 わたしは言った。「主よ、いつまででしょうか。」主は答えられた。「町々が崩れ去って、住む者もなく/家々には人影もなく/大地が荒廃して崩れ去るときまで。」
6:12 主は人を遠くへ移される。国の中央にすら見捨てられたところが多くなる。
6:13 なお、そこに十分の一が残るが/それも焼き尽くされる。切り倒されたテレビンの木、樫の木のように。しかし、それでも切り株が残る。その切り株とは聖なる種子である。