エゼキエル15章 義と愛の神様
エゼキエル15章 義と愛の神様
ここでは、神様の御性格を知ることができます。
15:6 わたしが薪として火に投げ込んだ、森の木の中のぶどうの木のように、わたしはエルサレムの住民を火に投げ入れる。
神様は、イスラエルについて、木材にもならないぶどうの木に例えられ、まして、それが火に焼かれて焦げてしまったら、何の役にも立たないと語られました。
15:8 わたしはこの地を荒廃させる。彼らがわたしに不信を重ねたからである」。
不信を重ねるイスラエルに対する神様の裁きは、厳しいものでした。
15:7 わたしが顔を彼らに向けるとき、彼らはわたしが主なる神であることを知るようになる。
しかし、そんな中でも、神様の顔が彼らに向かっています。それは、彼らへの哀れみの心を表しています。
彼らが神様を知り、神様の道に歩むことを、神様はどんなに願い続けているのでしょうか。こんなに不信を重ねたイスラエルであっても、もし、悔い改めて神様の御もとに来るのなら、彼らを受けいれ、いつでも心から迎え入れてくださるのです。
神様の厳しい義の行動と恵み深いみこころに触れることができます。
義なる神様を恐れつつ、弱い私たちを待ち続け、受け入れてくださる神様に感謝します。
ゴスペルハウス
アブラハム・リー
15:1 主なる神の言葉がわたしに臨んだ。
15:2 「人の子よ、ぶどうの木は森の木々の中で、枝のあるどの木よりもすぐれているであろうか。
15:3 ぶどうの木から、何か役に立つものを作るための木材がとれるだろうか。それで、何かの器物を掛ける釘を作ることができるだろうか。
15:4 それが火に投げ込まれると、火はその両端を焼き、真ん中も焦がされてしまう。それでも何かの役に立つだろうか。
15:5 完全なときでさえ何も作れないのに、まして火に焼かれて焦げてしまったら、もはや何の役にも立たないではないか。
15:6 それゆえ、主なる神はこう言われる。わたしが薪として火に投げ込んだ、森の木の中のぶどうの木のように、わたしはエルサレムの住民を火に投げ入れる。
15:7 わたしは顔を彼らに向ける。彼らが火から逃れても、火は彼らを食い尽くす。わたしが顔を彼らに向けるとき、彼らはわたしが主なる神であることを知るようになる。
15:8 わたしはこの地を荒廃させる。彼らがわたしに不信を重ねたからである」と主なる神は言われる。