使徒1章 私たちの希望
使徒1章9節で、イエス様は天に上られました。
教会の時代の始まりです。
しかし弟子たちはイエス様が天に上られた後、どう感じたのでしょうか?
今までいつもそばにいてくれた人が急にいなくなるとどうなるでしょうか?
頼りにしていたものが一瞬にしてなくなってしまったのです。
“今度は本当にいなくなってしまった。“と嘆いていたでしょうか?
違いますよね。
では、イエス様が十字架にかけられるために
捕らえられた時の弟子たちの反応はどうでしたか?
「わたしは苦しみを受け、殺され、三日目によみがえる。」(マタイ16:21)ということを聞いていたにもかかわらず、彼らは混乱し、逃げてしまいました。そしてイエス様が死んだことをひどく悲しみ、失望してしまいました。
しかし使徒1:9でイエス様が天に上られた時、
弟子たちは嘆きもせず、悲しみもしませんでした。
なぜでしょうか?
それは、彼らには大きな希望が与えられていたからです。
その希望とは何でしょうか?
1つ目はイエス様ご自身が残された言葉にあります。
使徒1章8節
8聖霊があなたがたに臨まれる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」。
聖霊が与えられるという約束。
今まで弟子たちは聖霊様というものを体験したこともなく、何なのかはわかりませんでしたが、イエス様と同じ霊をいただけるということを知り、とても喜んだことでしょう。
2つ目はイエス様が再び戻ってこられるという約束です。
使徒1章10,11節
10イエスの上って行かれるとき、彼らが天を見つめていると、見よ、白い衣を着たふたりの人が、彼らのそばに立っていて 11言った、「ガリラヤの人たちよ、なぜ天を仰いで立っているのか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになるであろう」。
キリストは私たちを迎えるために再び地上に戻ってきます。
これほど大きな希望があるでしょうか?
弟子たちは、この希望がったからこそ、ゆるがされませんでした。
私たちにも、弟子たちに与えられた希望が与えられています。
聖霊が臨まれる時に力を受けること、そして再びイエス様が
地上に戻ってこられ、私たちを迎えに来て下さること。
この大きな希望を持ち続け、主の再臨を待ち望み、
聖霊の力によって、日々歩んで行きたいと思います。
サムエル・リー