レビ記16章 他人よりもまず自分を・・・。
レビ記16:17
「アロンは自分の罪のためにいけにえの雄牛をささげ、
自分と自分の家族のために贖いをする。彼は自分の
罪のためにいけにえの雄牛をほふる。」
この箇所では、前の章に引き続き、罪過のいけにえや罪の許しについて書かれていました。その中で目に留まったのが、17章です。アロンは民の贖いをする大祭司でしたが、彼はこの箇所で、民のいけにえをささげる前に、自分の罪のためにいけにえをささげています。
この箇所では、前の章に引き続き、罪過のいけにえや罪の許しについて書かれていました。その中で目に留まったのが、17章です。アロンは民の贖いをする大祭司でしたが、彼はこの箇所で、民のいけにえをささげる前に、自分の罪のためにいけにえをささげています。
人は自分のことよりも、他人のしていることのほうが目に留まりやすいものです。
しかし、時には他人を裁きながら、自分も同じことをしていることがあります。
だから、他人を戒める時、注意するとき、何かを教えるときには、
まず自分がそれを実践しているかをよく確かめる必要があると思います。
だから、大祭司であるアロンがまず自分の罪を贖ったように、
他人を蔑むのではなく、それを自分が実践して、
行動で示すことが大切なのではないでしょうか??
しかし、時には他人を裁きながら、自分も同じことをしていることがあります。
だから、他人を戒める時、注意するとき、何かを教えるときには、
まず自分がそれを実践しているかをよく確かめる必要があると思います。
だから、大祭司であるアロンがまず自分の罪を贖ったように、
他人を蔑むのではなく、それを自分が実践して、
行動で示すことが大切なのではないでしょうか??
サムエル・リー