2025年9月27日
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へブル書 第11章 神に喜ばれた者

神に喜ばれた者

bible9

11:6  信仰がなくては、神に喜ばれることはできない。なぜなら、神に来る者は、神のいますことと、ご自身を求める者に報いて下さることとを、必ず信じるはずだからである。

私たちが神様を信じることは、神様を喜ばせることである。神様は、ご自身を天の父として表しました。そして、今も私たち信じるものを神様から來る義と認めてくださり、キリストが行った十字架の死と復活によって私たちを神様の身元に導かれるようになりました。

そこは、神の御国であり、神様の納められる場所であり、神様の法律や規定があります。天に属するものは、神様の家族となります。その家族の一員となるには、「ヨハネ1:12  しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。 」要するに、神様のこともとされることになり、神様の家族の一員となります。

家はあるがHomeがない時代を生きる寂しい時代に、これは、Good Newsです。

信仰は、神様に導かれる第1のステップであり、それが神様を喜ばせ、神の御国の家族となり、この世を打ち勝つことができる力が与えられます。困難や試練を乗り越えるのは、キリストを信じる信仰です。

Heb 11:1  さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。 
Heb 11:2  昔の人たちは、この信仰のゆえに賞賛された。 
Heb 11:3  信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉で造られたのであり、したがって、見えるものは現れているものから出てきたのでないことを、悟るのである。 
Heb 11:4  信仰によって、アベルはカインよりもまさったいけにえを神にささげ、信仰によって義なる者と認められた。神が、彼の供え物をよしとされたからである。彼は死んだが、信仰によって今もなお語っている。 
Heb 11:5  信仰によって、エノクは死を見ないように天に移された。神がお移しになったので、彼は見えなくなった。彼が移される前に、神に喜ばれた者と、あかしされていたからである。 
Heb 11:6  信仰がなくては、神に喜ばれることはできない。なぜなら、神に来る者は、神のいますことと、ご自身を求める者に報いて下さることとを、必ず信じるはずだからである。 
Heb 11:7  信仰によって、ノアはまだ見ていない事がらについて御告げを受け恐れかしこみつつその家族を救うために箱舟を造り、その信仰によって世の罪をさばき、そして、信仰による義を受け継ぐ者となった。 
Heb 11:8  信仰によって、アブラハムは、受け継ぐべき地に出て行けとの召しをこうむった時それに従い、行く先を知らないで出て行った。 
Heb 11:9  信仰によって、他国にいるようにして約束の地に宿り同じ約束を継ぐイサク、ヤコブと共に、幕屋に住んだ。 
Heb 11:10  彼は、ゆるがぬ土台の上に建てられた都を、待ち望んでいたのである。その都をもくろみ、また建てたのは、神である。 
Heb 11:11  信仰によって、サラもまた、年老いていたが、種を宿す力を与えられた約束をなさったかたは真実であると、信じていたからである。 
Heb 11:12  このようにして、ひとりの死んだと同様な人から、天の星のように、海べの数えがたい砂のように、おびただしい人が生れてきたのである。 
Heb 11:13  これらの人はみな、信仰をいだいて死んだ。まだ約束のものは受けていなかったが、はるかにそれを望み見て喜び、そして、地上では旅人であり寄留者であることを、自ら言いあらわした。 
Heb 11:14  そう言いあらわすことによって、彼らがふるさとを求めていることを示している。 
Heb 11:15  もしその出てきた所のことを考えていたなら、帰る機会はあったであろう。 
Heb 11:16  しかし実際、彼らが望んでいたのは、もっと良い、天にあるふるさとであった。だから神は、彼らの神と呼ばれても、それを恥とはされなかった。事実、神は彼らのために、都を用意されていたのである。 
Heb 11:17  信仰によって、アブラハムは、試錬を受けたとき、イサクをささげた。すなわち、約束を受けていた彼が、そのひとり子をささげたのである。 
Heb 11:18  この子については、「イサクから出る者が、あなたの子孫と呼ばれるであろう」と言われていたのであった。 
Heb 11:19  彼は、神が死人の中から人をよみがえらせる力がある、と信じていたのである。だから彼は、いわば、イサクを生きかえして渡されたわけである。 
Heb 11:20  信仰によって、イサクは、きたるべきことについて、ヤコブとエサウとを祝福した。 
Heb 11:21  信仰によって、ヤコブは死のまぎわに、ヨセフの子らをひとりびとり祝福し、そしてそのつえのかしらによりかかって礼拝した。 
Heb 11:22  信仰によって、ヨセフはその臨終に、イスラエルの子らの出て行くことを思い、自分の骨のことについてさしずした。 
Heb 11:23  信仰によって、モーセの生れたとき、両親は、三か月のあいだ彼を隠した。それは、彼らが子供のうるわしいのを見たからである。彼らはまた、王の命令をも恐れなかった。 
Heb 11:24  信仰によって、モーセは、成人したとき、パロの娘の子と言われることを拒み、 
Heb 11:25  罪のはかない歓楽にふけるよりは、むしろ神の民と共に虐待されることを選び、 
Heb 11:26  キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる富と考えた。それは、彼が報いを望み見ていたからである。 
Heb 11:27  信仰によって、彼は王の憤りをも恐れず、エジプトを立ち去った。彼は、見えないかたを見ているようにして、忍びとおした。 
Heb 11:28  信仰によって、滅ぼす者が、長子らに手を下すことのないように、彼は過越を行い血を塗った。 
Heb 11:29  信仰によって、人々は紅海をかわいた土地をとおるように渡ったが、同じことを企てたエジプト人はおぼれ死んだ。 
Heb 11:30  信仰によって、エリコの城壁は、七日にわたってまわったために、くずれおちた。 
Heb 11:31  信仰によって、遊女ラハブは、探りにきた者たちをおだやかに迎えたので、不従順な者どもと一緒に滅びることはなかった。 
Heb 11:32  このほか、何を言おうか。もしギデオンバラクサムソンエフタダビデサムエル及び預言者たちについて語り出すなら、時間が足りないであろう。 
Heb 11:33  彼らは信仰によって、国々を征服し義を行い約束のものを受けししの口をふさぎ、 
Heb 11:34  火の勢いを消しつるぎの刃をのがれ弱いものは強くされ戦いの勇者となり他国の軍を退かせた。 
Heb 11:35  女たちは、その死者たちをよみがえらさせてもらった。ほかの者は、更にまさったいのちによみがえるために、拷問の苦しみに甘んじ、放免されることを願わなかった。 
Heb 11:36  なおほかの者たちは、あざけられ、むち打たれ、しばり上げられ、投獄されるほどのめに会った。 
Heb 11:37  あるいは、石で打たれ、さいなまれ、のこぎりで引かれ、つるぎで切り殺され、羊の皮や、やぎの皮を着て歩きまわり、無一物になり、悩まされ、苦しめられ、 
Heb 11:38  (この世は彼らの住む所ではなかった)、荒野と山の中と岩の穴と土の穴とを、さまよい続けた。 
Heb 11:39  さて、これらの人々はみな、信仰によってあかしされたが、約束のものは受けなかった。 
Heb 11:40  神はわたしたちのために、さらに良いものをあらかじめ備えて下さっているので、わたしたちをほかにしては彼らが全うされることはない。 
 

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