2025年9月28日
その他

へブル書 第12章 平安な義の実

へブル書 第12章 平安な義の実

bad kids spank

多くの親は子育てで悩むことが多いでしょう。日本の調査によると行政から発信してほしい内容の1番は、健康、2番が、子育て、だという報告があります。それほど、子育てへの需要があります。

この箇所では、父の訓戒について書かれてあります。日本では、父の訓戒を受けたことのない子供たちが沢山います。その結果、自身のない子供たちが多くいます。父の訓戒を受けた子供は、愚かな心から判別のある、知恵の子供へ変わります。それが、自信を持つようにさせます。同様に、天のお父さんである、神様も私たちを訓戒します。そして、その訓練を通して、私たちが平安の義の実を結ぶようにさせます。

はい、その訓戒はその時は喜ばしいことではなく、悲しいものに感じられます。しかし。それを通して私たちは洗練された人格に変えられます。

そして、いずれかは、「平安な義の実」を受け取るようになります。

感謝なことです。聖書では母の教え、そして、父の訓戒と書いてあります。しかし、家庭の子育ては、半分以上は、父の訓戒が必要です。

平安は、父の訓戒の結果で、安定した精神が生まれます。そして、義というのは、神様を信じる信仰により与えられるものです。神様から來る訓戒によって、私たちは洗練された信仰の深さが与えられます。その進行による神様からの義が与えられるのです。

直ぐに祈りの答えが与えられない一番の理由は、私たちの信仰の訓練です。その訓練を通して、平安が持たされます。この変案は、条件と関係ない平安です。あらゆる試練や苦難が来ても、心の内側には神様への信頼に満ち、その信頼から來る安心感があるのです。

ローマ人への手紙 8:28  神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。

Heb 12:1  こういうわけで、わたしたちは、このような多くの証人に雲のように囲まれているのであるから、いっさいの重荷と、からみつく罪とをかなぐり捨てて、わたしたちの参加すべき競走を、耐え忍んで走りぬこうではないか。 
Heb 12:2  信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである。 
Heb 12:3  あなたがたは、弱り果てて意気そそうしないために、罪人らのこのような反抗を耐え忍んだかたのことを、思いみるべきである。 
Heb 12:4  あなたがたは、罪と取り組んで戦う時、まだ血を流すほどの抵抗をしたことがない。 
Heb 12:5  また子たちに対するように、あなたがたに語られたこの勧めの言葉を忘れている、「わたしの子よ、主の訓練を軽んじてはいけない。主に責められるとき、弱り果ててはならない。 
Heb 12:6  主は愛する者を訓練し、受けいれるすべての子を、むち打たれるのである」。 
Heb 12:7  あなたがたは訓練として耐え忍びなさい。神はあなたがたを、子として取り扱っておられるのである。いったい、父に訓練されない子があるだろうか。 
Heb 12:8  だれでも受ける訓練が、あなたがたに与えられないとすれば、それこそ、あなたがたは私生子であって、ほんとうの子ではない。 
Heb 12:9  その上、肉親の父はわたしたちを訓練するのに、なお彼をうやまうとすれば、なおさら、わたしたちは、たましいの父に服従して、真に生きるべきではないか。 
Heb 12:10  肉親の父は、しばらくの間、自分の考えに従って訓練を与えるが、たましいの父は、わたしたちの益のため、そのきよさにあずからせるために、そうされるのである。 
Heb 12:11  すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われるしかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。 
Heb 12:12  それだから、あなたがたのなえた手と、弱くなっているひざとを、まっすぐにしなさい。 
Heb 12:13  また、足のなえている者が踏みはずすことなく、むしろいやされるように、あなたがたの足のために、まっすぐな道をつくりなさい。 
Heb 12:14  すべての人と相和し、また、自らきよくなるように努めなさいきよくならなければ、だれも主を見ることはできない。 
Heb 12:15  気をつけて、神の恵みからもれることがないように、また、苦い根がはえ出て、あなたがたを悩まし、それによって多くの人が汚されることのないようにしなさい。 
Heb 12:16  また、一杯の食のために長子の権利を売ったエサウのように、不品行な俗悪な者にならないようにしなさい。 
Heb 12:17  あなたがたの知っているように、彼はその後、祝福を受け継ごうと願ったけれども、捨てられてしまい、涙を流してそれを求めたが、悔改めの機会を得なかったのである。 
Heb 12:18  あなたがたが近づいているのは、手で触れることができ、火が燃え、黒雲や暗やみやあらしにつつまれ、 
Heb 12:19  また、ラッパの響や、聞いた者たちがそれ以上、耳にしたくないと願ったような言葉がひびいてきた山ではない。 
Heb 12:20  そこでは、彼らは、「けものであっても、山に触たら、石で打ち殺されてしまえ」という命令の言葉に、耐えることができなかったのである。 
Heb 12:21  その光景が恐ろしかったのでモーセさえも、「わたしは恐ろしさのあまり、おののいている」と言ったほどである。 
Heb 12:22  しかしあなたがたが近づいているのは、シオンの山生ける神の都天にあるエルサレム無数の天使の祝会、 
Heb 12:23  天に登録されている長子たちの教会万民の審判者なる神全うされた義人の霊、 
Heb 12:24  新しい契約の仲保者イエス、ならびに、アベルの血よりも力強く語るそそがれた血である。 
Heb 12:25  あなたがたは、語っておられるかたを拒むことがないように、注意しなさい。もし地上で御旨を告げた者を拒んだ人々が、罰をのがれることができなかったなら、天から告げ示すかたを退けるわたしたちは、なおさらそうなるのではないか。 
Heb 12:26  あの時には、御声が地を震わせた。しかし今は、約束して言われた、「わたしはもう一度、地ばかりでなく天をも震わそう」。 
Heb 12:27  この「もう一度」という言葉は、震われないものが残るために、震われるものが、造られたものとして取り除かれることを示している。 
Heb 12:28  このように、わたしたちは震われない国を受けているのだから、感謝をしようではないか。そして感謝しつつ、恐れかしこみ、神に喜ばれるように、仕えていこう。 
Heb 12:29  わたしたちの神は、実に、焼きつくす火である。 
 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です