へブル書 第12章 平安な義の実

多くの親は子育てで悩むことが多いでしょう。日本の調査によると行政から発信してほしい内容の1番は、健康、2番が、子育て、だという報告があります。それほど、子育てへの需要があります。
この箇所では、父の訓戒について書かれてあります。日本では、父の訓戒を受けたことのない子供たちが沢山います。その結果、自身のない子供たちが多くいます。父の訓戒を受けた子供は、愚かな心から判別のある、知恵の子供へ変わります。それが、自信を持つようにさせます。同様に、天のお父さんである、神様も私たちを訓戒します。そして、その訓練を通して、私たちが平安の義の実を結ぶようにさせます。
はい、その訓戒はその時は喜ばしいことではなく、悲しいものに感じられます。しかし。それを通して私たちは洗練された人格に変えられます。
そして、いずれかは、「平安な義の実」を受け取るようになります。
感謝なことです。聖書では母の教え、そして、父の訓戒と書いてあります。しかし、家庭の子育ては、半分以上は、父の訓戒が必要です。
平安は、父の訓戒の結果で、安定した精神が生まれます。そして、義というのは、神様を信じる信仰により与えられるものです。神様から來る訓戒によって、私たちは洗練された信仰の深さが与えられます。その進行による神様からの義が与えられるのです。
直ぐに祈りの答えが与えられない一番の理由は、私たちの信仰の訓練です。その訓練を通して、平安が持たされます。この変案は、条件と関係ない平安です。あらゆる試練や苦難が来ても、心の内側には神様への信頼に満ち、その信頼から來る安心感があるのです。
ローマ人への手紙 8:28 神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。
Heb 12:1 こういうわけで、わたしたちは、このような多くの証人に雲のように囲まれているのであるから、いっさいの重荷と、からみつく罪とをかなぐり捨てて、わたしたちの参加すべき競走を、耐え忍んで走りぬこうではないか。
Heb 12:2 信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである。
Heb 12:3 あなたがたは、弱り果てて意気そそうしないために、罪人らのこのような反抗を耐え忍んだかたのことを、思いみるべきである。
Heb 12:4 あなたがたは、罪と取り組んで戦う時、まだ血を流すほどの抵抗をしたことがない。
Heb 12:5 また子たちに対するように、あなたがたに語られたこの勧めの言葉を忘れている、「わたしの子よ、主の訓練を軽んじてはいけない。主に責められるとき、弱り果ててはならない。
Heb 12:6 主は愛する者を訓練し、受けいれるすべての子を、むち打たれるのである」。
Heb 12:7 あなたがたは訓練として耐え忍びなさい。神はあなたがたを、子として取り扱っておられるのである。いったい、父に訓練されない子があるだろうか。
Heb 12:8 だれでも受ける訓練が、あなたがたに与えられないとすれば、それこそ、あなたがたは私生子であって、ほんとうの子ではない。
Heb 12:9 その上、肉親の父はわたしたちを訓練するのに、なお彼をうやまうとすれば、なおさら、わたしたちは、たましいの父に服従して、真に生きるべきではないか。
Heb 12:10 肉親の父は、しばらくの間、自分の考えに従って訓練を与えるが、たましいの父は、わたしたちの益のため、そのきよさにあずからせるために、そうされるのである。
Heb 12:11 すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。
Heb 12:12 それだから、あなたがたのなえた手と、弱くなっているひざとを、まっすぐにしなさい。
Heb 12:13 また、足のなえている者が踏みはずすことなく、むしろいやされるように、あなたがたの足のために、まっすぐな道をつくりなさい。
Heb 12:14 すべての人と相和し、また、自らきよくなるように努めなさい。きよくならなければ、だれも主を見ることはできない。
Heb 12:15 気をつけて、神の恵みからもれることがないように、また、苦い根がはえ出て、あなたがたを悩まし、それによって多くの人が汚されることのないようにしなさい。
Heb 12:16 また、一杯の食のために長子の権利を売ったエサウのように、不品行な俗悪な者にならないようにしなさい。
Heb 12:17 あなたがたの知っているように、彼はその後、祝福を受け継ごうと願ったけれども、捨てられてしまい、涙を流してそれを求めたが、悔改めの機会を得なかったのである。
Heb 12:18 あなたがたが近づいているのは、手で触れることができ、火が燃え、黒雲や暗やみやあらしにつつまれ、
Heb 12:19 また、ラッパの響や、聞いた者たちがそれ以上、耳にしたくないと願ったような言葉がひびいてきた山ではない。
Heb 12:20 そこでは、彼らは、「けものであっても、山に触たら、石で打ち殺されてしまえ」という命令の言葉に、耐えることができなかったのである。
Heb 12:21 その光景が恐ろしかったのでモーセさえも、「わたしは恐ろしさのあまり、おののいている」と言ったほどである。
Heb 12:22 しかしあなたがたが近づいているのは、シオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレム、無数の天使の祝会、
Heb 12:23 天に登録されている長子たちの教会、万民の審判者なる神、全うされた義人の霊、
Heb 12:24 新しい契約の仲保者イエス、ならびに、アベルの血よりも力強く語るそそがれた血である。
Heb 12:25 あなたがたは、語っておられるかたを拒むことがないように、注意しなさい。もし地上で御旨を告げた者を拒んだ人々が、罰をのがれることができなかったなら、天から告げ示すかたを退けるわたしたちは、なおさらそうなるのではないか。
Heb 12:26 あの時には、御声が地を震わせた。しかし今は、約束して言われた、「わたしはもう一度、地ばかりでなく天をも震わそう」。
Heb 12:27 この「もう一度」という言葉は、震われないものが残るために、震われるものが、造られたものとして取り除かれることを示している。
Heb 12:28 このように、わたしたちは震われない国を受けているのだから、感謝をしようではないか。そして感謝しつつ、恐れかしこみ、神に喜ばれるように、仕えていこう。
Heb 12:29 わたしたちの神は、実に、焼きつくす火である。